普通とは

普通とは
「その他大勢でいること」
だと僕は思う。

僕の考える普通は
この一言で完結する。
だけど、これじゃあ
まだまだふわっとし過ぎだ。

だから、具体例をあげよう。
普通というのは、例えば

・特殊じゃないこと
・はみ出者じゃないこと
・大衆の中にいられること
・人から見て違和感のないこと
・常識を疑わないこと

パッと思いつくのは
このくらいだろうか。

 

これは僕の主観だから、
別のところからも引用しよう。
たとえば、デジタル大辞泉には

「特に変わっていないこと。
 ごくありふれたものであること。
 それがあたりまえであること。
 また、そのさま。」

と書いてある。
こう読むと、僕の中にある
「普通」に対する価値観は
まさに普通なんだろうね。
僕は普通に普通を捉えてる。

 

 

 

僕は普通という言葉を聞くと
必ず「型にはめる」とか
「普通でいる」みたいな
イメージが芋づる式に浮かぶ。

「普通」について考える時って
型にはめる日本の教育方針だとか
特殊な人が受け入れられにくい
日本の現状が論点になることが
ほとんどだから、当たり前っちゃ
当たり前だな。

そういうものについて考えたとき
大抵の場合「型にはめるのはダメ」
「特殊な人も受け入れなきゃ」って
結論になる。ていうか、それ以外の
結論に至ったのを見たことがない。

 

せっかくだから、
今回はそれらについて
書いてみようと思います。

結論からいうと
「型にはめない方がいい」
「受け入れるのは難しい」
というのが僕の結論。
それぞれ詳しく話しますね。

 

まず「型にはめない方がいい」は
ホントそのまま。もし、その子に
才能があるなら、その特殊性は
どんどん伸ばしていった方が
いい。そうすることでいい人材が
育つのは間違いないだろうしね。

ただ、これってめっちゃ難しい。
それは型にはめられて育った人間が
教育を行うから。型にはめない
特殊性を伸ばす教育がイメージ
できない。もちろん、僕も。

だから、そんな教育をやれるのは
ごくごく一部の才能のある
教育者だけだと思います。

あと、本物の天才とか
時代を変える英雄ってのは
型にはめる教育をしようが
必要な時に生まれてくるモノ
だと思っているので、
「はめない方がいい」
くらいのもんです。

 

 

 

 

 

 

次「受け入れるのは難しい」
について。


普通じゃないって、良く言えば
「特殊な才能を持ってる」
ってことかもしれないけど
あえて悪い言い方をするなら
「人間としてはズレた奴」
ってことなんだよね。

そんなヤツ、受け入れろって
言うほうが無理な話なんだ。
多くの普通の人たちは
普通じゃない人の
感覚がわからない。
感覚がわからないから
共感することも出来ないし
共感できなかったら
受け入れるなんて
無理だよね。

受け入れろよ!って
言うほうが残酷だぜ。
変な奴と一緒にいるのって
めちゃくちゃ疲れるもん。
だから、受け入れられないのは
仕方がないと思っているし、
受け入れられないのが
当たり前だから、
俺くらいは受け入れて
あげたいなあって思う。
友達になれるかは
わからないけど。

 

 

なんか最近は、
「普通コンプレックス」
みたいのを発症する人がいて
やたらと才能を伸ばす学校やら
バカになる方法やらが流行ってるけど
普通ってめちゃくちゃ幸せだろ。

願わくば、普通に生きられますように
つつがなく、大きな波もなく、
穏やかに生きられますように。

 

今日はここまで。

お疲れ様でした。