大学について

結論、僕にとっての大学は
「素晴らしい環境」です。

大学の何が良いって、
「自由なところ」で

何を学ぶか自由
誰といるか自由
時間が沢山ある

と学ぶ内容や友達関係が
限られていた高校までとは
まったく違う環境ですよね。

人ってのは制限があると
その制限のなかでしか
考えられなくなる生き物で、
今でこそ、休学して好きなことを
やらせてもらっていますが、
高校までの自分なら「休学」
なんて発想もなかったです。

だからこそ、
一人でいてもいいし、
変わっててもいいし、
授業を受けなくても
何も言われない。
「どう在るか」が自由な
大学が「自分に合ってるな」
と思います。

自由の使い方を分かっていなくて、
色々やらかした事もあるんですが
それも良い学びになったと思います。
ほんと、良い環境だなあ、と思います。

 

ただ、その反面、
「大学での学び」に関しては
飽き足らないところがあります。
僕は仏教学科に通ってまして
当然、仏教を学んでいるのですが
勉強の8割は面白くありません。

というのも、大学の勉強は
「研究が本質だから」です。

大学で教鞭を取るのは
「教授」と呼ばれる人たち
なのですが、
教授は皆研究者です。
博士論文(研究)を学会で
発表し、研究者としての
「お墨付き」をもらった人たち。

当然、授業でやる内容は
学術的で科学的、
仏教を学問としての目線から
研究したものです。

そうなると当然
「仏教がどう活かされるのか」
というのはサブテーマになります。

なので授業の8割は
「経典の解釈」みたいな
話になるんですが、
まあ面白くありません。
座学、座学、座学ですから
実生活にどう活かすのか
には結びつきにくいんです。

これは、当然といえば当然で、
そもそも大学はそういう場所です。
学者の卵を育てる場所ですから。

ただ、それが現代の役割に
合っているか、というと
なかなかそうは思えません。

 

今の大学の役割というのは
ほぼ「就業施設」です。
ならば、実生活に結びつく
学びを得れる場所を
別に作った方がいいのでは、
とも思います。

ただ、これは
もの知らぬやつの我儘
な気もしていて、
大学での学びは活かそう
と思ったら活かせるもの
のようにも思います。
仏教なら「どう生きるか」
とか、「楽に生きる」
みたいなことを考えるのには
多いに役立ちますしね。

とはいえ、活かそうと思ったら
相当頭がよくて、意思の力が
強くないと難しい。
「実践するぞ!」と発想し
「どう実践するか」を考える
そういう人間じゃないと
難しいように思います。

僕はそう成れなかった。

 

なので、大学はすごくいい場所で
必要なものなのだけれど
なかなか難しい場所だとも
思いました。

 

「大学について」は
「教育について」
みたいな話で
書くのが本当に大変でした。

視座の高さも
視野の広さも
全く足りない。

ああ、難しい。