幸せとは

幸せってなんだろう。

2021年の「世界幸福度ランキング」で
No.1に輝いたフィンランド
同年の「世界自殺者数ランキング」で
上位9位にランクインしてる。

南アメリカのとある発展途上国
住む人々はスマホやテレビがなくても
とても幸せそうに暮らしているそうだ。
その理由はその国の言語には「不幸」
という言葉が無いから、らしい。

おもしろいね。

 

 

幸せに生きたいってのは
すべての人間が考えてることだ。

だけど、その幸せに生きるって
結構難しいらしい。

不幸なのは辛い。
不幸を避けて幸せになるため
にはどうしたらいいだろう。

僕はいま、かなり幸せやと思うねんけど、
なんで幸せだと感じているんだろう。

ずっと幸せでいるために
幸せについて根本から考えていこう。
今回も自分の解釈100%。
「俺にとっての幸せ」を
言語化していきます。

 

不幸という概念がない部族

世界には不幸という概念が
存在しない部族がいる。
南アメリカのどっかに住んでる
名前は覚えていないんだけど
めちゃくちゃ面白くない?
スマホも、テレビも、
スタバも、ユニバも
ディズニーもないけれど、
そこの人たちは全員
幸せそうにしているそうだ。

その理由が面白くて、
苦痛とか不幸せを表す
言葉がないんだって。

つまり不幸という概念が
ないってことだ。

不幸を知らんてどういう事やねん。
不快感もないってこと?
不快感=不幸じゃないのか。
その辺は分けて考えられそう。

幸せの概念もないのか。
幸せの概念があるなら、
不幸せもないとおかしい
と思うんだけど、どうだろう。

その辺の感情って相対だもんな。
幸せの基準があるなら、
その基準を下回ったら
不幸せにならないとおかしい?

だから幸せの基準(ハードル)を
下げるのが超大事って
言われてるんだけど、、、

 

 

世界一幸福度の高い国

世界の幸福度ランキング
6年連続第1位のフィンランド
一見すると幸せな国だけど、
自殺者数も世界上位だ。

なんでそんなことになるんだろう。
調べてみると
・気候条件
・日照時間が短い
アルコール依存症が多い
いろんな考察が出てきたけど
どれもあんまりしっくりこない。

だけど、調べているなかで
面白い考察をみつけた。

それがこの記事

note.com

考察を要約すると
「恵まれすぎて考えても
仕方のないことを考える」
ってのが著者の主張。

 

めっちゃ解釈やなあ、とは思うけど
納得、というか共感もできる。
僕は人生で一度だけ
死を考えたことがある。
長くなるから端折るけど、
そのとき自殺を考えた理由は
「恵まれた環境の中で芽を出せない
 自分に絶望したから」だ。

いま考えるとアホらしい、
笑ってしまうような理由
なのだけれど、
当時の自分はわりと本気で
死のうと思ってた気がする。

当時は今より時間があって、
人間関係も潤沢で、
「ただ好きなこと」をやってた。

 

今に比べるとずっと幸せそうな
状態だなあ、と思うんだけど、
当時の自分は不幸せだったらしい。

 

フィンランドの話とは
ちょっとズレてる気もするけど
被ってる部分もあるはずだ。

 

 

幸せに生きるには

不幸という概念がない国と
フィンランドを比べると、
その違いは「不幸があるか」
だろうなあ。

元も子もないこと言うと
不幸だと思ってなきゃ不幸じゃない。
逆にいうといくら物質的に豊かで
福祉が充実してて、対話の文化があっても
幸せだと思えなかったら不幸になる。

そんだけの話。
だから「どうなったら幸せなのか」
って自分の基準を明確にするのが
めちゃくちゃ大事なんだよなあ。

それさえわかっていれば、
あとはどうにでもなる。
ただ走るだけだしね。

 

ちなみに僕の幸せの基準は
「ビジョン実現」です。
これさえあれば、一生走れる。
逆にないと何もできない。

 

今日も疲れた。考えた。

ああ、幸せだ。

 

自由とは

自由ってなんやろ。
「自らに由る」と書いて自由。
そのまま読むなら
自分の考えのまま、が
自由だと解釈できるけど
「自分の考えのまま」って
どう言うことやろうか。

たとえば、
身一つで空を飛びたい!
と思っても人間は飛べない。
それは不自由だろうか。
それが不自由だとするなら
人間はみんな不自由って
ことになる。

あー、あかんな。
「自由」をそのまま考えると
どうしても哲学的になる。

そんなこと考えたって
どうしようもない。

だから、ひとつの前提を引こう。
「哲学的な自由」ではなく
「人生における自由」
自由に生きるってどういうことか
自分なりに考えていこう。

 

自由について考える上で
言語化したいのはこの3つ

①いろいろな自由
②不自由とは何か
③僕にとっての自由

自由って言葉は抽象的すぎて
そのまま考えるのは難しい。
だから先に不自由を考えて
それを基準に言語化してみる。

いろいろな自由

世の中にはいろんな自由がある

身体的自由、
金銭的自由、
言論の自由
職業の自由、

他にもたくさんあるやろうけど、
パッと思いつくのはこれくらい。

いったん、この4つの自由から
共通点を探していこう。
それぞれを自分なりに
解釈してみるとこんな感じ。

身体的自由は
「体が思い通りに動くこと」
「拘束されていないこと」

金銭的自由は
「自由にお金を使えること」
「お金をたくさん持っていること」

言論の自由
「思ったことを主張できること」

職業の自由は
「職業を選べること」

こんな感じかなあ。
それぞれに共通しているのは
自分に選択権があること
だと思うんだけど、どうだろう。

身体の自由を例にすると
体が拘束されている状態は
動こうと思っても動けない状態
だから、自由とは言えない。

動く / 動かないを
自分で選べる状態が自由かな。

だから、色々な場面で
「自分で選べること」が
自由であることなんだろう。

 

不自由とは何か

自由について
自分なりにあたりをつけたので、
次は不自由について考える。

自由が選択できる状態なら
不自由は選択できない状態だ。

自分以外の要因で
自分の考えとかアクションが
阻害されている状態。

そう考えると
「自由である」って難しいな。
体は思った通りに動かないし、
お金はどれだけ稼いでも
けっきょく上限がある。
職業だって、ぜんぶ
選べるわけじゃない。

空を飛べない人間は
みんな不自由なのか?

って最初の疑問に
戻ってしまうけど、
結論、人間は基本的に
不自由なんだろう。

なんだかんだ完全な自由って
まあ、手に入らないんだな。

 

僕にとっての自由

自由と不自由について
ざっくり考えてみた。

自由とは「選択できること」
不自由とは「選択できないこと」

それぞれある程度言語化できた。
ここからは僕にとっての自由
について考えていこう。

 

さっき書いた通り、
人間は基本的に不自由だ。
思い通りに動くものなんて
ほっとんど無いと思う。

だけど、俺には一つだけ
「これだけは何があっても
自分の意思100%で選べる」
確信してるものがある。

何かっていうと、行動。
もちろん、いろいろな制限は
あるけどね。その制限の中で
「自分が何をするのか」は
100%自分の意思で選べる。

「努力しないヤツは
 努力できないんじゃない
 努力したくないんだ」

って重すぎる言葉がある。
俺はこの言葉が大っ嫌いだけど、
きっと、そうなんだろうね。

僕は行動を選べること知っている。
自分の内面は100%自分の自由に
なることを知っている。

 

 

 

 

 

うん。だから選ぶ。今日も選ぶ。

成功とは

「成功」って言葉、抽象度高いなあ。

目標を達成する意味での成功
仮説を立証する意味での成功
人生賭けて挑戦する成功

成功って言葉ひとつで
いろいろな意味を持ってるけど、
今回は3番目の「人生賭ける成功」
について書いていこうと思います。

それは、このブログを書く目的が
自分の感覚の言語化で、
それを通して自分の「いい人生」に
とことん向き合うことだから。

 

「成功」に向き合う上で、
言語化したいのはこの3つ

①一般的な成功者
②成功という言葉の意味
③僕にとっての成功

一般的な成功者について考えて、
成功って言葉を定義して
僕にとっての成功を
言語化できたら幸せだ。

よし、やっていこう。

 

一般的な成功者

「一般的な成功者」と聞いて
はじめに思い浮かぶのは

「社会的成功」ってやつ。

社会的成功というのは
大きな会社で役職についたり
経営者になって事業を成功させたり、

みんなから「すごいね」って
褒められるような
肩書を得ることと、
たくさんたくさんお金を稼ぐこと。
この二つを両立させるイメージです。

インスタグラムみたいな
若者向けのおしゃれSNS
ブランド物を買ったことや
高い寿司屋にいったことを
ストーリーに挙げている人たちは
そういう社会的に成功した人たち。

ビジネスで結果を出すこと以外にも
スポーツのプロとして活躍したり、
小説家として大ヒットを産んだり、

他人から羨ましがられるような
名声を得たり、生活を送ることが
一般的な「社会的成功」だと思ってます。

Googleで検索してみると

 目的を達成した人。多くは、事業などに成功して地位や富を得た人をいう。

成功者(せいこうしゃ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

こんな内容が出てくるので
そこまでズレてはないと思います。

 

成功という言葉の意味

一般的な成功について言語化したから
そこからさらに踏み込んで、
成功って言葉を定義したいと思います。

いま書いたように、
世間で言われている成功者が
なぜ成功者と呼ばれるかって
みんなが羨ましいと感じるからです。

じゃあ、なんで成功者のことを
みんなが羨ましがるのかっていうと、
僕は成功者がやりたいことやってるから
だと思うんですよ。

成功者の共通点って
「自分の理想」を実現したこと
だと思います。

自分のやりたい気持ちとか
こうありたいって理想像を
無視しないで努力して
ある程度実現したこと。

世の中のほとんどの人は
それができないから、
「やりたい」を実現した
成功者を羨んだり尊敬したり
するんだと思います。

だから、僕が思う成功とは
「自分のやりたいを実現する」こと。

僕にとっての成功

僕の「成功とは」を
言語化できたので、
最後に僕がやりたいことを
言語化していこうと思います。

僕のやりたいことは
「幸せの継なぎ手」になること。

具体的には、
いい商品、いいサービスと
いい人たちを継ぐことです。

そうやって、
いい商品、サービスの発展と
人々の豊かな生活を
少しでもサポートしたい
ってのが僕のやりたいこと。

それを実現するために
WEBマーケティングをやってます。

 

あまりにも抽象度高くて
どこまで行ったら実現と
呼べるのかわからないけど、
それもこの先に見つけたい。

がんばろ〜。

 

やりたいことって
堂々と言うの苦手やなあ。
なんちゅうか、軽い。
もっと書きたいけど、
だいぶ書いたからもう終わり。

お疲れ様でした。

お金とは

お金って大事ですよね。
だって、何をするにも金が要るんだから。

お金がないと家に住めない
お金がないと飯が食えない。

そもそも生きていくのに金が要る。
お金がないと生きる事すらできない。
逆に、お金があれば色々できます。

欲しい服が買えるし
好きなものを食べられるし
世界中、ほとんどの場所にいけるし。


持ってないと何もできない。
持ってたら色々できる。
現代においては最も強い
「力」のひとつだと思います。

だからこそ、
お金とはなんなのか
どう認識しているのかを
しっかり腹落ちさせていないと
振り回されることになる。

今回はそんなお金について
いま考えているところから
もう一歩踏み込んで

①そもそもお金とは何か
②僕にとってのお金

この二つを言語化したいと思います。

そもそもお金とは

そもそもお金とは
調べてみるとこんな感じ

貨幣とは、経済学上は、価値の尺度、交換の媒介、価値の蓄蔵の機能を持ったものの事である。

貨幣-wikipedia

 

いやあ、よくわからん。

どこ調べてもこんな感じだったので
僕が分かった範囲でまとめてみると

貨幣とは

①モノの価値の尺度になる
②モノやサービスと交換できる
③長いあいだ保存できる
④みんながお金として認識してる

この4つの条件を満たすモノらしい。
いろいろ書いてあるけれど、
ようは「何でも交換券」ってこと。
何でも交換券っていうと、、、すごい。
めちゃくちゃ偉大な発明じゃないか?

もともと、人は物々交換で商売?をしてた。
肉と魚を交換するとか、米と服を交換するとか
でも、それだと問題が出てきます。
「服を持ってる肉が欲しいAさん」と
「肉を持ってる魚が欲しいBさん」が
出会うと取引が成立しません。
あと、平等な取引するのが難しい。

そこから、
「みんなが価値を感じられる物を
使って取引しよう!」
ってなってお金ができたわけです。

 

このおかげで商売に革命が起きて
交流が盛んになって、、、
人がここまで発展してきたのは
「お金」という偉大な発明が
あったからだと思います。

そう思うとお金ってすごい。
ただ「何とでも交換できる券」
というだけじゃなくて、
人類を発展させた偉大な発明です。

もともと「物買える」くらいの
解像度の低い捉え方しか
できていなかったんですが、
少しお金の捉え方が変わりました。

 

僕にとってのお金

「お金とは」を考えたので、
その上でお金をどう捉えるか
考えていきたいと思います。

とはいえ答えはシンプルで
「ただの何でも交換券」
として捉えてます。

僕がお金を考える上で
大事だと思っているのは
「お金自体はただの券」
ってこと。

何とでも交換できる
ラクルアイテムではあるんですけど
何とも交換しなかったらタダの数字。
そのままじゃ何の役にも立ちません。

そうなると「何と交換する?」ってのが
大事になってくるんですが、
それを選ぶのが難しいんだよなあ・・・

たとえば、いま手元に1億円あったとして
いまの僕が「何買う?」って聞かれたら
あまり思い浮かびません。
服とか、新しいPC欲しいとか
海外行ってみたいとか、
大した使い道は思い浮かびません。

そもそも無い物なんで、
その使い道を考えるのって
アホらしいんですけどね。

持ってたら持ってたで
しょうもない使い方して
なんだかんだで破滅しそうで...

ビジョンを持っているからには
その実現に繋がる発想をしたい。
今の僕はそれが思い浮かばないんで
人としてすごく未熟なんだと思います。

 

お金を稼ぐのは凄く大切だけど、
ちゃんと上手く使える人間にならないと。
お金ってむずかしいなあ、と思います。

 

今日はここまで、
お疲れ様でした。

 

社会とは

「社会とは」
いやあ、難しい。
なんとなーく言葉は知ってるけど、
具体的にどういうものか
考えたことは無かった。

でも、これから社会に出て
頑張る身なので、
「どこに出るのか」ってのを
言語化していきたいと思います!

 

僕にとっての社会とは
「人の集団とその営み」だ。

人間という生物が集まって共同生活を
する。そしてその共同生活を続けるため
より豊かなものにしていくために
行うすべての営みを、
僕は社会と呼びたいと思う。

集団なら「国/県/町/家族/学校」
営みなら「買い物/仕事/会話/政治」
その辺をぜんぶひっくるめて、社会。

 

 

 

そう考えたきっかけは
小学校の社会の授業について考えたこと。
小学生の時はなんとなく受けてたけど、
いま考えてみると社会の授業って
教わることの幅がめちゃくちゃ広い。

政治、憲法、地理、産業、文化、歴史

この辺を全部同じ授業のなかで
同じカテゴリーとして教わる。

 

小学生のときは違和感とか
感じたことは無かったんだけど、
大学生では全部違う学問として
勉強するし実際に違う学問だと
思うから、同じ物として学ぶのに
なんとなく違和感を感じてた。

だって、どれもやってる事が全然違う。

 

じゃあ、なんでそれを一緒にしたんだろ?
って考えたときに、共通してるのが
「人の集まりとその営み」なんだよな。
めちゃくちゃ僕の解釈だけど、、、

政治は人の集まり(国)の調和をとること
憲法は「どう調和をとるか」の方針
地理は土地(自然)と人の関係を考えるもの
産業は生活に必要な「モノ」を作る営み
文化は人の生活様式や生き方そのもの
歴史は現代社会の根拠/裏付けだ。

 

小学校の社会の授業ってのは
「いちばん大きな社会」
人の集まりとその営みについて、
それがどんなモノでどう作られたのか
をざっくり学ぶ授業なんだろうな。

 

気づいたら「小学校で学ぶ社会」に
ついての話になっているけど、
いろいろ調べて考えて、
これが1番しっくりくる。

 

自立して働くことを
「社会にでる」というけど、
言い得て妙だなあ。
学生でいる内は社会に守られて生きてる。
親が金を出してくれて、
学校が教育してくれて、
「未成年」とかの概念も
社会が子供を守るために
設定した概念だと思う。

そう考えると、学生は
「社会人に営まれている社会」
の中で生活してるよね。

それが社会に出ると、
社会を営む側に回ることになる。
社会に貰いっぱなしのところから
社会に貢献して、その対価を貰う
生活に切り替わる。

 

社会を営む側に回るってことは
行動が社会に影響を与えるってことで
社会に影響を与えるってことは
その分の責任が発生するってこと。

これは「僕がそう思う」という
個人的な意識の問題だし
目に見えるような影響とか
貢献ができるかっていうと
全然そうではないけど、
頭の片隅には置いておきたい。

 

社会って難しいな。
学生として生きてきて、
「社会で生きてる」みたいな
実感をしたことがない。

だからなんというか、
知識ベースの内容になってしまった。
まあ、これから社会に出て生活する中で
その辺の実感も出てくるはず。

自身の変化を楽しみに、
やりたいことやろう。

 

 

今日はここまで。
お疲れ様でした。

仲間とは

 仲間ってのは得難い物です。
 友達!と言えても仲間とは
 なかなか言えないですよね。
 

 僕が考える仲間とは
 「同じ未来を共有して頑張る人達」

 未来という言葉を
 もう少し平たく言うと目標です。
 部活動をイメージすると分かりやすい。
 「全国優勝」
 「地区大会優勝」
 「楽しく運動」
 大なり小なりあるけれど、
 同じ目標を描く人たちが
 集まっていますよね。
 同じコミュニティで
 同じ未来を描いて
 その実現のために
 精一杯動く人たち
 これが僕の考える
 「仲間」です。

 

 だから友達とはちょっと違う。
 友達は「一緒にいて楽しい」とか
 「仲良くできる」みたいな関係。

 仲間は楽しく無くても良いんです。
 ほんと、極端な話をするなら
 同じ未来の実現に動くことに
 支障が出ないのであれば
 仲が悪くたって良い。

 仲が悪くても、
 目標実現のために
 最善を尽くせるなら
 仲間だと思います。

 そう考えると、
 友達とは全然違うなあ。
 繋がりかたが違えば
 絶交する時の痛みも違う。
 友達と絶好なんかする時は
 相手か、もしくは自分に
 どうしても受け入れられない
 ところがあって離れるのが基本で、
 「人として反りが合わない」のが
 理由だけど、仲間と別れる時は
 人として合わない、以外にも
 「方向性のズレ」とか
 「熱量の違い」で
 別れたりする。

 方向性を共有できない悲しさとか
 離れてしまうことへの寂しさとか
 仕方ないって諦めとか
 頑張って欲しいって気持ちとか
 めっちゃ複雑な気持ちになるのが
 仲間との別れ。辛いけど、少し
 価値を感じられる様な別れだ。

 
 もう少し深掘って考えたい。
 仲間は「未来を共有する人」
 じゃあ、未来を共有するって
 どうすれば良いんだろう。

 未来を共有するには
 根本的な部分が同じじゃないといけない
 例えば、サッカーで全国優勝が目標なら
 ・サッカー上手くなりたい!とか
 ・かっこよくいたい!とか
 ・努力が好き!とか
 そういう性格とか素質の
 「共通」が必要です。

 ゆるくサッカーしたい人は
 全国優勝を目指すチームに
 入ったりしないだろうし、
 ストイックにやりたい人が
 ゆるい部活には入らない
 と思うんですよ。
 もし入っても続きませんよね。

 だから、仲間になるには
 そもそも根本的な思いで
 重なるところがないと
 ダメだと思うんです。

 根本が同じ人間だからこそ
 共感できる部分が多だろうし
 友達や親には相談できない悩みを
 相談することだってできる。
 そんな、仲間と呼ぶ間柄に
 なれるんだと思います。

 

 これが僕にとっての仲間。
 仲間というのは本当に得難い物です。
 ただ、仲良くするというのでは無い。
 無意識レベルで同じ未来をみて、
 そのために直走る。そんな関係
 なかなか見つからないですよね。
 だから、今の環境は本当に
 ありがたいなあ、と思う限りです。
 おっしゃ、明日からも
 気合い入れていくで。
 かかってこい。
 絶対負けねえ。

 

 今日はここまで。
 お疲れ様でした。
 
 

仕事とは

仕事ってなんだろう?

就活真っ盛りの僕にとっては「1番」
と言っていいほど重要なテーマだ。

なんたって、僕はこれからの人生の
半分を仕事についやす。それだけの
ウェイトを占めるテーマなんだから
これを機に少し向き合ってみよう。

 

とはいえ、今の段階での結論、
というならある程度は出てる。
結論から言うと、仕事とは
「社会のお困りごと解決」
だと僕は思う。

人々が生きていく中で、必ず出て
くる「困ったなあ」とか「こうだ
ったらいいのに」という課題を解
決して、その対価としてお金を
もらうのが仕事だ。

 

たとえば、、、

医者は病気を治す

介護士は人の介護

営業マンは価値を人に伝える。

機械技師は機械の調整や修理

受付なら、事務作業&サービス

ホストやキャバ嬢は夢を見せる。

 

ゼロをプラスにしたり、
マイナスをゼロにしたり
って違いはあるけれど、
基本は貢献から外れない。
貢献→お返しで成り立っている。

人が「金を払ってでも受けたい」

と思うような貢献をするのが仕事だ。

人を幸せにして、自分も幸せに。
ある種「究極の社会貢献」と
呼んでもいいかもしれない。

 

そう考えると、僕にとっては
仕事ができるって幸せなことだ。
「貢献してる」って感じられるから。
「貢献している」という感覚は
自分が生きる意義になる。
僕は生きる意義とか理由を
無意識に考えちゃうタイプだ。
考えちゃうもんだから、何もして
ないと「何のために生きてんの?」
ってどうしようもない疑問が出てきて
めちゃくちゃしんどくなる。

だから、僕にとっては
仕事ができるって幸せなことだ。
どんな仕事でも、仕事ってだけで
「僕の存在意義」になるから。

ちゃんと社会に出たことがないから
わからないけど、多分仕事って
超大変なんだろうな。
入社してすぐなんか辛くて辛くて
たまらないんだと思う。
そう思うとちょっと怖いけど、
多分、何もしないよりマシだ。

こう読むと、仕事に依存してないか?
なんか、ダメな女の子にハマりそうで
ちょっと怖いな・・・。

 

 

 

ここまで、仕事を「社会貢献」
として扱ってきたけど、当然
そんなに綺麗じゃないことも
ちょっとは分かる。

世の中には利益を出すことしか
考えていないような仕事のやり方
が存在しているし、そうでなくて
も仕事には必ず「やる人の欲」が
含まれている。

それは当然だ。
前提、生きるためには金が要る。
それに、金なんかあればあるだけ
良いに決まってる。

 

だけど、本質はあくまでも
「お困りごと解決」なんだ。
貢献が先にあって、後から
お金が付いてくる事を
忘れちゃいけないし
忘れたくない。

もし、それを忘れてしまったら
仕事が死ぬほどつまらなくなる
気がするから。

 

 

僕の「仕事とは」はこんな感じ。
僕にとっては、めちゃくちゃ
コスパの良い生きる意味。

だから、今のところは
一生仕事してたいと思ってる。
「人を幸せに、自分も幸せに」
そんな完璧にはできない
だろうけど、できるだけ
そこから外れないように
まっすぐな仕事をしたい。

 

疲れたので、
今日はここまで。

お疲れ様でした。