自由とは

自由ってなんやろ。
「自らに由る」と書いて自由。
そのまま読むなら
自分の考えのまま、が
自由だと解釈できるけど
「自分の考えのまま」って
どう言うことやろうか。

たとえば、
身一つで空を飛びたい!
と思っても人間は飛べない。
それは不自由だろうか。
それが不自由だとするなら
人間はみんな不自由って
ことになる。

あー、あかんな。
「自由」をそのまま考えると
どうしても哲学的になる。

そんなこと考えたって
どうしようもない。

だから、ひとつの前提を引こう。
「哲学的な自由」ではなく
「人生における自由」
自由に生きるってどういうことか
自分なりに考えていこう。

 

自由について考える上で
言語化したいのはこの3つ

①いろいろな自由
②不自由とは何か
③僕にとっての自由

自由って言葉は抽象的すぎて
そのまま考えるのは難しい。
だから先に不自由を考えて
それを基準に言語化してみる。

いろいろな自由

世の中にはいろんな自由がある

身体的自由、
金銭的自由、
言論の自由
職業の自由、

他にもたくさんあるやろうけど、
パッと思いつくのはこれくらい。

いったん、この4つの自由から
共通点を探していこう。
それぞれを自分なりに
解釈してみるとこんな感じ。

身体的自由は
「体が思い通りに動くこと」
「拘束されていないこと」

金銭的自由は
「自由にお金を使えること」
「お金をたくさん持っていること」

言論の自由
「思ったことを主張できること」

職業の自由は
「職業を選べること」

こんな感じかなあ。
それぞれに共通しているのは
自分に選択権があること
だと思うんだけど、どうだろう。

身体の自由を例にすると
体が拘束されている状態は
動こうと思っても動けない状態
だから、自由とは言えない。

動く / 動かないを
自分で選べる状態が自由かな。

だから、色々な場面で
「自分で選べること」が
自由であることなんだろう。

 

不自由とは何か

自由について
自分なりにあたりをつけたので、
次は不自由について考える。

自由が選択できる状態なら
不自由は選択できない状態だ。

自分以外の要因で
自分の考えとかアクションが
阻害されている状態。

そう考えると
「自由である」って難しいな。
体は思った通りに動かないし、
お金はどれだけ稼いでも
けっきょく上限がある。
職業だって、ぜんぶ
選べるわけじゃない。

空を飛べない人間は
みんな不自由なのか?

って最初の疑問に
戻ってしまうけど、
結論、人間は基本的に
不自由なんだろう。

なんだかんだ完全な自由って
まあ、手に入らないんだな。

 

僕にとっての自由

自由と不自由について
ざっくり考えてみた。

自由とは「選択できること」
不自由とは「選択できないこと」

それぞれある程度言語化できた。
ここからは僕にとっての自由
について考えていこう。

 

さっき書いた通り、
人間は基本的に不自由だ。
思い通りに動くものなんて
ほっとんど無いと思う。

だけど、俺には一つだけ
「これだけは何があっても
自分の意思100%で選べる」
確信してるものがある。

何かっていうと、行動。
もちろん、いろいろな制限は
あるけどね。その制限の中で
「自分が何をするのか」は
100%自分の意思で選べる。

「努力しないヤツは
 努力できないんじゃない
 努力したくないんだ」

って重すぎる言葉がある。
俺はこの言葉が大っ嫌いだけど、
きっと、そうなんだろうね。

僕は行動を選べること知っている。
自分の内面は100%自分の自由に
なることを知っている。

 

 

 

 

 

うん。だから選ぶ。今日も選ぶ。