自分の話

今日は自分の話を書く。普段、俺が、自分に対してどう考えているかを書く。自分の話はこの前自己紹介で書きはしたが、今日は自己の発散みたいなもん。

 

僕はずっと僕の事が分からない。今自分が感じている事や出す言葉に常に疑問を持ってる。
「ほんまに思ってんのか?」「いや思うてると思う」なんや、思うてると思うって。自分でそう思うけど、そんな人間や。こう考えるのは自分が飽きやすい人間やからってのが一番の理由。すぐに飽きるし、すぐにしょげる。すぐに考えが変わる。前の日思ってた事が次の日には他人事のように思える時がある。

今日、師匠が開催する食事会に行くのを断った。師匠に「最近、良い太河らしさが全然出てないと思う」って言われた。師匠「良い僕らしさ」ってのはなんでしょうか。フットワークが軽いことですね。そう言うたはりました。俺はフットワークの軽い人間です。誘われたら割とどこでも行くし、「やってみ」って言われたらすぐ「はい」って言います。でも、最近それじゃあかんのやと思いました。その「はい」は軽すぎるんです。やからなんか嫌な事あったらすぐに折れるし逃げる。最初は楽しくても、ちょっとしんどくなったら逃げてますね。

やからフットワークを重くしたんです。考えるようにしました。俺は決して頭は良くない。人がすぐ気づく事に気づくのに時間がかかったり、言葉にするのも下手くそで、時間がかかってしょうがない。やから、人より長く考える。自分はそれを本当にやりたいかどうか。それは本当に、自分のやりたい事に近づけるかどうか。

今回は「行きたくないし、近づかない」と思ったから行ってない。行かんという選択をとったんです。これは自己の正当化か???逃げか???そのうちわかる。今はやらん方に振る。その結果どうなるかは分からんが、どうなってもしゃあない。やるしかない。今はこの方が良いと思ってるからやるしかない。

「僕らしさ」なんてもんはいくらでも変わるんですよ。そんなもんは今僕の中にはないです。
僕が僕をどう定義するかでしかない。

そんな僕でも一個だけ、一個だけ変わらんもんがあるんです。

それは伝統工芸とか本気で作る人間たちへの羨望と感動なんです。

しんどくてしんどくてしゃあない時に見た南紀重国は忘れん。「ああ、ほんまに綺麗やなあ」と思った。そんな日本刀を作り出す職人もすごい。すごい。すごい。

今、俺ん中にはそれしかない。全部わからんけど、それだけ有る。

めっちゃ伝統工芸について勉強してるわけじゃないから「ほんまに好きなんか?自分」て言われたらそれすらわからんけど、伝統工芸見てる時と本気で何かを作ろうとする人間のそばにいる時の感動だけはずっっっっっっっと変わらんのです。

やからそれがなくなったら困るんですよ。それを作る人間たちが笑顔でいられな困るんですよ。才能と努力が運とかいうクソッタれでひっくり返る世の中じゃ困るんです。やからそれを変えるんです。せめて、俺と知り合ったモノ達だけでも幸せになるように。そんなもんになるんです。

今目の前にいる人を幸せにできへんのに?

それもこれからやるんやろ。

 

大学入ってから吐き続けた言葉をいま全部ひっくり返してる人間の言葉。

何にも考えずに調子の良いことばっか言いつづけた人間の言葉。

何にも考えずに目の前に現れたものにぶら下がり続けた人間の言葉。

 

生きながら、死人になりて、なり果てて、思いのままにするわざぞよき

武士道というは死ぬこととみつけたり

仏に逢うては仏を殺せ

 

今の俺にはそれしか無い。それだけの人間。

NUMBERSと師匠以外全部やめて目標実現のために直接必要なことだけできるようにする。9月までにやる。