友達について

僕が思う「友達」について

僕が「友達」と呼ぶ条件は
「なんとなくで誘える」こと

たとえば
「風呂行きたいなあ」とか
「飯行きたいなあ」とか
「散歩したいなあ」とか
そう思ったときに
「あ、あいつ誘お」
って思えること。

 

「そんなこと!?」
って思われるかもしれんけど
僕にとって「誘う」って
めちゃくちゃハードル高いんですよ。

もういろいろ考えちゃうんです。
「迷惑って思われへんかな」とか
「めんどくさいと思われへんかな」とか。

やからプラーベートで誘うの
めっちゃ体力使うんですけど

 

逆に友達を誘うときは
迷惑って思われても
めんどうって思われても良いんですよ。
それは「それでも関係崩れんやろな」
って思ってるからです。

多少喧嘩しても、仲悪なっても
それを流せるなあって
僕が感じてるから。
ほんで多分向こうも
流してくれるから。


人とこういう関係作るんて
めっちゃむずかしい。
相手の嫌なところが見えて、
それを受け入れて、
自分の嫌なところも
相手が受け入れてくれて

その過程を踏まんと
こうはなれん。

 

やから「友達でいる」って
結構むずかしいですよね。

 

「流せること」が大事なんですけど
それをお互いにやるのって難しい。

 

やから、いま側にいてくれる友達は
大切にしたいなあ、と思います。

 

 

友達の話をする時は
必ず「友情」の話が出てきます。

ちゃんと考えた事がなかったんですが
よく考えたらめちゃくちゃ大事やな
と思います。

 

個人的には
できるだけどんな人とも
仲良くしたいなあ
と思うんですが、

不誠実をやると
それが一気に難しくなる。

必ずしこりになって、
表面上で仲良くしようとしても
ビクビクしながら
付き合わなあかんくなる。

たとえば
ついたらあかん嘘つくとか。

 

ほんまに仲良くできるかって
そこが分岐になってるな
と思います。

 

そう思うと友達って難しいですね
「気が置けなくて」
「信頼できて」
って無理ちゃうか?

 

この先、そういう友達ができるかなあ
って思うとあんまり自信ないんですが

1番大事なんは自分やと思うから。
まず、自分が信用できるか
まず、自分が許せるか
まず、自分が愛せるか

 

うちの社長にもらった言葉で
印象に残ってるのがあって
「何度裏切られても、
 はじめてできた恋人
 かのように愛しなさい」
みたいな言葉。

今回は友達がテーマやけど
本質は変わらんと思う。

ずっと考えてる。
まったくできてない。
これが1番難しい。

「まず愛せる人」

になりたいな。
どのくらいかかるかは
検討もつかんけど。

 

 

今いる友達も
この先会う人も
みんな大事にしたい。
理想やけど、体現したい。