仲間とは

 仲間ってのは得難い物です。
 友達!と言えても仲間とは
 なかなか言えないですよね。
 

 僕が考える仲間とは
 「同じ未来を共有して頑張る人達」

 未来という言葉を
 もう少し平たく言うと目標です。
 部活動をイメージすると分かりやすい。
 「全国優勝」
 「地区大会優勝」
 「楽しく運動」
 大なり小なりあるけれど、
 同じ目標を描く人たちが
 集まっていますよね。
 同じコミュニティで
 同じ未来を描いて
 その実現のために
 精一杯動く人たち
 これが僕の考える
 「仲間」です。

 

 だから友達とはちょっと違う。
 友達は「一緒にいて楽しい」とか
 「仲良くできる」みたいな関係。

 仲間は楽しく無くても良いんです。
 ほんと、極端な話をするなら
 同じ未来の実現に動くことに
 支障が出ないのであれば
 仲が悪くたって良い。

 仲が悪くても、
 目標実現のために
 最善を尽くせるなら
 仲間だと思います。

 そう考えると、
 友達とは全然違うなあ。
 繋がりかたが違えば
 絶交する時の痛みも違う。
 友達と絶好なんかする時は
 相手か、もしくは自分に
 どうしても受け入れられない
 ところがあって離れるのが基本で、
 「人として反りが合わない」のが
 理由だけど、仲間と別れる時は
 人として合わない、以外にも
 「方向性のズレ」とか
 「熱量の違い」で
 別れたりする。

 方向性を共有できない悲しさとか
 離れてしまうことへの寂しさとか
 仕方ないって諦めとか
 頑張って欲しいって気持ちとか
 めっちゃ複雑な気持ちになるのが
 仲間との別れ。辛いけど、少し
 価値を感じられる様な別れだ。

 
 もう少し深掘って考えたい。
 仲間は「未来を共有する人」
 じゃあ、未来を共有するって
 どうすれば良いんだろう。

 未来を共有するには
 根本的な部分が同じじゃないといけない
 例えば、サッカーで全国優勝が目標なら
 ・サッカー上手くなりたい!とか
 ・かっこよくいたい!とか
 ・努力が好き!とか
 そういう性格とか素質の
 「共通」が必要です。

 ゆるくサッカーしたい人は
 全国優勝を目指すチームに
 入ったりしないだろうし、
 ストイックにやりたい人が
 ゆるい部活には入らない
 と思うんですよ。
 もし入っても続きませんよね。

 だから、仲間になるには
 そもそも根本的な思いで
 重なるところがないと
 ダメだと思うんです。

 根本が同じ人間だからこそ
 共感できる部分が多だろうし
 友達や親には相談できない悩みを
 相談することだってできる。
 そんな、仲間と呼ぶ間柄に
 なれるんだと思います。

 

 これが僕にとっての仲間。
 仲間というのは本当に得難い物です。
 ただ、仲良くするというのでは無い。
 無意識レベルで同じ未来をみて、
 そのために直走る。そんな関係
 なかなか見つからないですよね。
 だから、今の環境は本当に
 ありがたいなあ、と思う限りです。
 おっしゃ、明日からも
 気合い入れていくで。
 かかってこい。
 絶対負けねえ。

 

 今日はここまで。
 お疲れ様でした。